医者が「ぼけた」時

田村医院 田村 仁


今日は2002年1月1日の夜。筆者一同は母屋に集合します。
おじいちゃんとおばあちゃんとその子供4名とその配偶者4名、
孫10人の合計20人の大所帯になります。それに弟の精神神経科医が愛している
「ミニダックス」君が加わります。総勢20人と一匹。早々忘れていた。
おじいちゃんが愛している柴犬「三郎」も加わり、新年会が始まります。まず初めにおじいちゃんの年頭の挨拶から始まりました
。今まで八十六年生きてきた感謝を述べました。そして八八歳目指して頑張ろうと全員が乾杯の合唱をした。
ペットボトル型のビールを一気に飲み干した。続いて去年から買っておいた雪中梅をコップにぐいっと飲み干した。
そしたら『強い』視線を感じた。二人の娘の視線だ。「ちょっとオトウサン・・。好い加減におし〜!。」、
「ハイ。1〇〇から7引いて?。」、「93!。」、「から7引いて?。」、「86.」、「から7ひいて?。」
と始まりました。アルコール毎日飲む性痴呆症の診察をされてしまった。娘も今年医者か〜。
アルコールを毎日大量に飲むと確かにビタミンB1の欠乏からコルサコフ症候群「健忘性作話症」という病気になります。
毎日毎日野菜ジュースを5本くらい飲んでいますし、ビタミンB1不足は考えられないし・・・、
なんて考えていたら面白くなくなってきた。『プラス思考だ!』【娘達はオトーサンが飲み過ぎないように・・。】
「いい娘達だ〜」と思い直して又イッパイ口を付けた。そしたら又だ〜。「100から7引いて」が始まった。
もう乾杯から2時間がたっていたので、孫ども「おじいちゃんから見て」も久しぶりに会ったので会話が弾んでいて、
オトーサンの相手なんてしてくれないので院長室に戻り、小さなソファーにでんぐりがえって日本医事新報の新年号を読み出した。
そしたら「医者がぼけたとき」と題して、日本医史学会理事長の蒲原宏博士の論文を見つけた。「医者が癌になった時」
とか「医者が癌を告知された時」等という本はあるが、「医者がぼけた時」と言う医者その人自身の書いた本はない。
ぼけていないつもりで、ぼけたような自費出版をしているお医者は多い。なんか僕みたい・・。そういえば僕が大学院時代に
、先輩医者のT先生が大酒のみで、ある時地元静岡の糖尿病の患者さんにインスリンを注射して低血糖を起こして昏睡になって、
友人と二人が呼ばれて大学病院から真夜中に車で往診した経験がある。2日間の徹夜だったけれど助かって良かった〜
。でも変わっている先生だった。患者さんの家に入り込んで風呂に入って冷蔵庫を開けて「ビール瓶」を勝手に開けて
グビグビと飲んでいたのを観察した事があった。医者が痴呆症になっていたのかもしれない。そういえば先日同級会があった
。そのとき「ジンチャン【僕のニックネーム】禿げたね〜。」をしつこく十回以上言う友人がいた。「イヤなやつ。」
と思っていたが彼も痴呆症になったのかもしれない。現在豊島区学校医会の仕事をしているが、いったん学校医になると
「もう年だから学校医を辞退する。」と言うまでは辞めさせる事は出来ない事が解った。
八十五歳を過ぎている学校医もいらっしゃる。でも何も??年を取っているから痴呆症になるわけではない。
患者様には常々「人生120歳まで現役で!??。若い者には負けるな!。老害なんてクソ食らえ!。生涯現役で頑張ってね〜!」
と言っている手前上、頑張らねば〜・・・。「医者がぼけた時」の論文を読み終えた時思わず
「100から7引いて93。から7引いて。から7引いて」と自問していた・・。謹賀新年。
今年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。呆けないように自重します。今回終わり。
このような状況ですので2002年も宜しく。
田村医院 田村 仁 拝下。



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