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◆つばさの会は、20年近い歴史があります。
次の3つの要素があって、会が生まれ、ここまで育ってきていると思います。
*「地域医療を大事にしたい」と考える開業医の存在
*ぜんそくなどアトピー性疾患に悩みながらも、負けまいと頑張る子どもたちの意欲
*上の両者を支えようとする人々の存在
昭和50年中ごろ、当時の小学校では、喘息の児童は修学旅行に参加できませんでした。では、喘息の子供はどこにも行けないのだろうか? つばさの会は、この様に喘息に苦しむ子供たちのことを考えたお父さんお母さんの手により1983年(昭和58年)12月に発足いたしました。 当時のことをよく紹介してくれている新聞記事があったので転載しておきます。
「スキーって、とてもおもしろいんだ。板だって、一人ではけるよ」。東京都板橋区大山金井町、会社員服部英雄さん(42)の長男、親昭君(6つ)は、福島県の猪苗代湖畔で、生まれて初めてのスキーを楽しんだ。
1歳半のころから、ぜんそくの発作に悩まされている。同じような子供たちとその家族、合計40人も一緒だった。「山は三角でね、そこにいっぱい雪が積もっているんだ。とってもきれいだよ。すぐ転ぶんだけどね、でも、とっても楽しいよ」
いつ発作が起きるか。これまでスキーはおろか、遠出なんてとっくにあきらめていた子がほとんどである。そうではなくて、もっと行動半径を広げて自信をつけてほしい、と自宅近くの開業医、田村仁さん(35)が中心になって企画した”冒険旅行”だった。
田村医師は診察室の治療だけでなく、3年前から母親を集めて「ぜんそく講座」を私的に開き、すでに10回を数えた。今度の旅行もその延長だった。「万一」を考えて、酸素ボンベなど医療器材を携行、同じ若手医師仲間のつてで、医学部学生や看護婦ら12人もボランティアとして同行してくれた。
参加者は8班に分かれたが、親子はすべて別々の班に。親を頼らずに自分ですべてやらせてみる、という狙いである。「スキーを履くのも、ちかあきは年上の子を見よう見まねで自分でやっていました。これほど自立できるなんて」と、一緒に行った母親の和加子さん(37)。「ふだんの倍も体を動かしているのにセキひとつしない。病気は心の持ちようなんですね」
親昭君は、4月から小学校に入る。1年生になることにちょっぴり不安を持っていたが、スキーをして少し変わった。「学校、行ってもね、体操なんかうまくできるかどうか、わかんない。でも、がんばってみるんだ」
当時のスキー旅行の時、上野の「つばさの像』前に集合をしていたとき、子供たちが、「この会の名前は、この場所の名前と、喘息から羽ばたこうと言う僕たちの心意気からつばさの会にしようよ。」と言う提案から生まれました。
”子供の冒険”はスキーだけでなく、夏はサマーキャンプ、秋は遠足といろいろ行き、親御さんは、勉強会を行って参りました。